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安積国造神社
宮司 安藤智重
〒963-8005
福島県郡山市
清水台1-6-23
TEL:024-932-1145 |
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総檜、流れ造。
高さ12メートルの壮麗なご社殿です。大正15年に再建されました。 |
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文化7年に再建されました。
再建の記念として、艮斎撰文の「郡山八幡祠碑」が建てられました。
戊辰の戦火で郡山は焼け野原になりましたが、ご社殿は無事でした。 |
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明治43年建立。秋祭りの9月28日、29日、午後6時からお神楽が奉奏されます。
安積地方に伝わるお神楽の歴史は古く、貴重です。 |
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ご祭神は天照大神、伊勢神宮から拝領した鳥居が立ちます。
ご本殿の右に鎮座します。 |
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ご祭神は和久産巣日神、天湯津彦命、比止禰命。
安積国造神社の旧地である赤木山に鎮座します。
大安場古墳の規模の前方後円墳、学名赤木古墳が築かれたところです。 |
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ご祭神は菅原道真公・安積艮斎先生です。
学問の神様として崇敬されています。
江戸時代太宰府天満宮のご分霊が祀られ、後に艮斎先生のご神霊が合祀されました。
ご本殿の左に鎮座します。 |
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古来当地の地主神として鎮座します。
農業、食物、商売の神様です。 |
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靖国神社のご分霊です。
郡山から出征した戦没者の英霊がお祭りされています。 |
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安積幼稚園庭にあります。
宗形彌兵衛の旧宅で、明治天皇が東北御巡幸の砌、2度駐輦されました。
戦後安藤重春画伯が創作活動の拠点としました。 |
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神社の諸行事のための参集施設です。
4階には安積艮斎記念館を設置しています。 |
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神社の南方、幼稚園遊戯室の隣にある石づくりの塔です。
大正15年、日本初の都市区画整理事業を記念して建てられました。 |
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安積艮斎が撰文し、佐藤一斎の門人で文人大名として有名な鳥取支藩藩主松平定常(池田冠山)侯の銘が刻まれています。
銘は、
「皇祖神聖 國造良翰 武人東征 肇祀廼壇 政禮具擧 顒若可觀 祀典綿亘 萬古不刋」
です。
碑は、文化7年の社殿再建竣工を祝し同14年に建てられました。
碑文には当神社の由緒や再建の経緯が書かれており『艮斎文略』に収録されています。 |
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岡鹿門(ろくもん)が撰文し、老中、神道管長稲葉正邦侯が篆額を揮毫しました。
幕末明治期、郡山の精神的支柱であった安藤脩重の事蹟が書かれています。
脩重は安積国造神社第59代宮司で、開成山大神宮初代宮司を兼務しました。
権中教正という位を受けましたが、地方の神官では珍しいことです。
碑は門人たちによって明治40年に建立されました。 |
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「昌平黌教授贈従四位艮斎安積先生誕生地」と刻してあります。
現代書道の父、日下部鳴鶴の書で、大正5年に建立されました。 |
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白王稲荷神社には、明和7年(1770)高遠の商家が奉納した透かし灯籠があります。
高遠の石工が造った精巧な彫刻のある灯籠です。 |
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本神社の北西に一辺440メートルの規模で広がっています。郡山市名発祥の地です。 |
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大銀杏の下にあります。
明治24年に建立されました。 |
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葛城王をもてなした宴で采女が歌を詠じた場所は、安積郡衙(清水台遺跡)である。境内は郡衙の南東部にあたる。 |
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「安積山かたびらほして通りけり」を刻す。芭蕉安積来訪330年記念。 |
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「忠信不欺是修身之要」を刻す。表参道に面して立つ。 |
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嘉元3年(1305)銘。
市内薬師寺跡の農地から出土したもので、神社へ奉納されました。
艮斎先生銅像の横にあります。 |
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